カテゴリー: コーチプロフィール

  • 【コーチという生き方】俺は変わる。あなたもきっと変われる。

    【コーチという生き方】俺は変わる。あなたもきっと変われる。

    コーチという生き方。

    コーチとして、11年。

    とても変化のある生き方だった。

    はじめは、地元のスポーツクラブでスイミングコーチとしてアルバイトを始めた。

    高校を卒業後、就職した製造業の会社を3年で退職し、まったく経験したことのない

    「コーチ」という仕事にアルバイトという形ながら就くことになった。

    ものづくりが好きだった私は、製造業という仕事はとてもやりがいがあり、クリエイティブで楽しかった。

    毎日ひたすら物を作り、自分の思いを形にしていった。

    その努力が認められ、周りからも評価され、
    1年もしないうちに現場のリーダーとしての役目を任されることになった。

    そこでもっとやりがいのあることを知ってしまった。

    今思えば、その瞬間に私の「コーチ」という道が拓けたのかもしれない。

    リーダーになって知ったこと。

    調子に乗って犯した重大なミス

    その時、私はまだ19歳。

    社会に出て間もないペーペーの新人。

    若さゆえ怖いものなどなかった。

    上司にさえ、自分の意見を何の配慮もなくぶちまけ、自分勝手に仕事を進め、周りを困らせることも多かった。

    でも成果は着実に出ていたし、

    「俺は会社に貢献している」

    と自信満々だったことを覚えている。

    そんな私に天罰が下るのは、そう遠い未来の話ではなかった。

    調子に乗っていた私は、上司やチームのメンバーに何の相談もなく勝手に仕事を進めていた。

    自分の判断だけで製品を作っていく中で、重大なミスを犯してしまった。

    製品の部品を本来使用するべきものとは、別の間違った部品で作ってしまっていた。

    納品日は、翌日。しかもその後の予定も詰まっている。

    そんな状況で、当時19歳の私にはどうすることもできなかった。

    仲間が助けてくれた、仲間がいると知った

    そんな状況の中、

    チームの仲間が「これからみんなで直しましょう!」「私も協力します。」と助けてくれた。

    もうとっくに就業時間は過ぎているのに、多くの仲間が残って作業してくれた。

    私の上司もスタッフを増員してくれたり、上司自身も作業を手伝ってくれた。

    仲間の協力でなんとか窮地を乗り越えることができ、安心した私に同期入社の同僚がかけてくれた言葉で私は目が覚めた気がした。

    「いい仲間がいてよかったな。」

    その日の夜、その言葉を噛み締め、私は変わることを決意した。

    「仲間を大切にする」「この感謝の気持ちを忘れない」

    誰かの役に立つということ

    それから心を入れ替え、仕事はうまくいき、順調だった。

    そんな中で、私に1つの想いが芽生え始めていた。

    「誰かの役に立ちたい」

    もっともっと多くの、そして困っている人や頑張っている人の助けになりたいと思っていた。

    3年が経とうとしていた頃、私は会社を辞めることに決めた。

    揺れる心、変わる意志

    仲間に恵まれ、仕事も順調で、会社は安定を与えてくれた。

    でも、

    「誰かの役に立ちたい」

    と思う気持ちは消えることはなかった。

    もちろん、その会社の人たちの役に立つことはできる。

    助けられた恩もある。

    でも私は、変わりたかった。

    新しい自分に挑戦したかった。

    考えに考えたのち、私は辞める決断、変わることを選択した。

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    新しい人生の始まり。

    動き出せない自分

    次の仕事先、就職先も決めることなく飛び出した私は、なにをすればいいかわからなかった。

    本当に勢いに任せて、自分勝手なところは変わってない自分の甘さに心底打ちのめされた。

    自分の生活も成り立たせなくてはいけない状況とやりたいことがわからない状態に危機感を感じながらもなかなか動き出せない自分がいた。

    あんなに意気込んで、会社まで辞めてきたのに、動けない自分が情けなく思えて仕方なかった。

    はじめの一歩

    きっかけ。

    それは思いもよらないところにあるもの。

    実家に置いてあった一枚のチラシ。

    スイミングの夏期短期講習の生徒募集のチラシだった。

    なにげなく内容を読んでいる中、チラシの隅っこに「スタッフ募集」の欄があった。

    内容は、「子供たちにスイミングを指導するコーチ」の仕事だった。

    水泳は、小学生の時に少しの間習っていた程度、あとは学校の授業でやるくらいのもので、到底指導なんて。

    と思った。

    チラシを見ていた私に、母親が「やってみればいいんやない、このままじゃなにも変わらないよ」

    と声をかけてくれた。

    スイミングコーチ人生の始まり。

    その言葉のおかげで、私はスイミングコーチになった。

    またしても誰かの言葉で、私は変えられた。今回は、自分の親だった。

    「誰かの役に立ちたい」と言っておきながら、誰の役にも立てず、それこそ誰かに背中を押されないと動き出せもしない自分。

    今振り返っても、本当に恥ずかしく思う。

    でもこれでなにか変わる。と期待を膨らませたことを今でも覚えている。

    教えることの難しさ

    まったく経験したことのないスイミングコーチという仕事だったが、

    小さい頃から運動は得意で、子供も好きだったので、「なんとかできるだろ」と根拠のない自信を持って挑んだ初日は散々な結果だった。

    目の前にいる生徒に私は、なにも教えることができなかったのだ。

    ただでさえやったことのない水泳の指導+相手は子供たち。

    なにをどうやって伝えていいのか。ただなんとなくうなずくことしかできず、ただただ悔しかった。

    困難に立ち向かう時、人は変わる

    初めての指導を終えた後、とても悔しい思いをしたが、自然と諦めるという選択肢はなかった。

    自分の好きなスポーツに関わること。子供たちの笑っている表情。すべてが新鮮で気持ちが良かった。

    スイミングを習いに来ていた子供たちの中にも、初めて水泳をする子もたくさんいた。

    足のつかないプールに初めて入る怖さは尋常ではないこと。

    初めてのコーチ、知らない子たちの中に混ざり、練習すること。

    それでも子供たちは一生懸命練習に取り組んでいた。

    「ああ、俺はなにをやってるんだ。」

    そう思った。

    「この子たちの方がよっぽど勇気があって、こんなにも頑張ってるじゃないか」と心の底から反省できた。

    また私は、誰かに変えられた。今度は子供たちだった。

    できないなら、勉強してできるようになればいい

    猛勉強した。

    それはもう全ての時間を指導・コーチングについて、水泳について勉強した。

    1つのことに没頭できることは、私の強みだった。周りが見えなくなるほどに。

    ベテランのコーチに話を聞いたり、本を読んで勉強したり、実際に自分で泳いでみたり、やれることはなんでもやってみた。

    学校の勉強は嫌いだったが、指導の勉強は楽しかった。

    やったことには必ず反応が返ってくる

    勉強の甲斐あってか、コーチの仕事にも慣れて来た頃、嬉しい知らせが届く。

    自分の担当している生徒が、訳あって転勤することになり、
    今いるスイミングクラブを辞めなければならないことになった。

    最後のレッスンのとき、その子から「今までありがとう」と言葉をもらい、お手紙をもらった。

    家に帰り、その手紙を読むと、

    「今までスイミングを楽しく教えてくれてありがとう」
    「泳げるようになれて嬉しかった」
    「別のところに行ってもスイミングを続けたいです」

    と書かれていた。

    気づけば、涙がぽろぽろと流れていた。

    「誰かの役に立てた」

    そう思えた瞬間だった。

    あの時の俺の選択は間違ってなかったと思えた瞬間だった。

    この時感じた想いを私は一生忘れることはないだろう。

    人との出会いが人を変える

    最高のコーチとの出会い

    私のコーチ人生の中で、もっとも重要で、もっとも大切なこと。

    「私を変えてくれた一人のコーチ」

    この人との出会いが私を大きく変えることになる。

    というか、

    今の私の指導・コーチングの信念や考え方はその人そのものだといっていい。

    それほどまでに私はその人の指導が好きで、心から尊敬している。

    今の私の指導を支えているのは、そのコーチから学んだ、子供に対する熱い想い、人に対しての愛情、仲間を想いやる心、仕事を貫き通す責任感、成長させるという覚悟、そして、人は変わるという答え。

    私は、その人に変えられた。

    人は人によって変わるのだ。

    コーチという仕事は、その最前線に立つという仕事だ。

    それを教えてくれたその人には、返しても返しきれないこの感謝と敬意を伝えたい。

    あなたのもとでコーチができてよかった。
    あなたの願うようなコーチになれているか。今そんなことを考えている。

    今はお互い違う環境にいるが、今もあなたはきっとどこかで誰かの役に立っていると信じている。

    人を動かすのは、人の心、心の入った言葉

    想像してみてほしい。

    迷っている時、困っている時、苦しい時。

    そんな状況を変えるのは、いつも人の心だ。

    そして、その心の入った言葉である。

    言葉は、使い方によっては、良くも悪くもなる。

    だが、心の入っていない言葉で、惑わせたり、騙したりすることはできても、

    本当の意味で、人を動かすことはできない。

    人を動かすということは、人の心を動かすということだと私は思うからだ。

    実際に私が動いた時、

    そこには、大切な人の心があった。

    大切な人の大切な心が入った言葉があった。

    それに私は変えられたのだ。

    コーチという仕事、コーチという人生とは、まさにそれを体現することに他ならない。

    バスケットボールコーチへの転身

    8年続けてきたスイミングコーチから、

    今現在は、バスケットボールのコーチとして活動を行なっている。

    バスケットボールは、私が小学生〜高校生、社会人バスケまで25年の経験がある。

    自分が一番得意とするスポーツであるバスケットボールを通じて、子供たちの成長の役に立ちたい。

    そして、

    そこに関わる人たちの意識を変え、スポーツ、バスケットボールの発展に少しでも貢献できたらと思い、このブログを書いています。

    バスケットボールのコーチとしても2年が経ち、日々勉強を続けている中で、

    この経験と募る想いを伝えていくべく、今後も子供たちの育成、人の心を動かすことを信念として掲げ、活動を続ける。

    変わる。あなたもきっと変われる。

    そして、これからも私は、

    変わることを選択する。

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  • ジュニア指導一筋11年、私がバスケを通じて子供達に伝えたいこと。

    ジュニア指導一筋11年、私がバスケを通じて子供達に伝えたいこと。

    ジュニア指導11年、
    私がバスケを通じて子供たちに伝えたいこと。

    スポーツ指導に携わり、11年が経った今、
    フリーのバスケットボールコーチとして活動していくことを決意し、バスケットボールを愛する人たちの役に立つことがしたい。

    そんな想いを抱いている。

    この11年の間、たくさんの人にスポーツの楽しさ、競技として取り組むことの厳しさ、目標を達成する喜び、他にも数え切れないほどの魅力を伝えてきました。

    ご年配の方から、高校生、中学生、小学生、幼児までほぼ全ての年代・年齢の方々へ指導を続けてきた中で、私自身もいろいろなことを教えられ、たくさんの学びがありました。

    本当に感謝の思いでいっぱいです。ありがとうございます。

    多くのことを学ばせてもらったこの11年という経験を生かして、これからバスケットボールに取り組む子供たちや「バスケがもっと上手になりたい!」とがんばるあなたのお役に立てれば嬉しく思います。

    前置きが長くなりましたが、
    ジュニア指導11年の経験から見えてきた「私がジュニア育成で大切にしていること」「バスケを通じて子供たちに伝えたいこと」をお伝えしていきます。

    私がジュニア育成で大切にしていること

    チャレンジする心を育てる

    私がジュニア育成で1番大切にしていること。

    それは、

    「チャレンジする心を育てる」

    ことです。

    人間には無限の可能性があります。

    子供たちを見ていると、未知なる可能性をひしひしと感じます。

    そして、その可能性は、

    「チャレンジすること」によって開花します。

    私が「チャレンジ」を重視する理由として、
    自分の道は自分で切り拓いていってほしいという願いがあるからです。

    自分の可能性を信じ、自分で決めたことを自分の力でやり抜く力が、
    これからの未来には必要になります。

    目的・目標へ導くことが指導者としての責務です。

    言われたことだけしかやろうとしない、失敗を恐れてチャレンジしない。
    そんな生徒を生み出さないことが指導者として求められていると私は胸に刻んでいます。

    「チャレンジする心を育てる」には、チャレンジする環境を与えることが絶対に必要。

    放っておいて育つ生徒など絶対にいません。

    指導者として、やらなければならないことは

    「子供たちが心置きなく、チャレンジできる場所」

    を作ることだと私は確信しています。

    そのような場所、環境を生み出すことができれば、
    自然とチャレンジするようになり、チャレンジすることが当たり前になってきます。

    「バスケットボールを通じて、チャレンジする心を育てる」ことが、

    バスケットボールコーチとしての私の使命です。

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    褒めるではなく、認めること

    指導の現場では「褒める指導」が大切とされています。

    私自身も「褒める」ことをとても大切にしています。

    どんなに小さなことでも、
    できなかったことができるようになるということは、とても嬉しいことです。

    子供たちにとって、初めてすることはできないことが当たり前であって、
    できないから練習に頑張って取り組んだり、難しいことにもチャレンジします。

    できないことを認め、たとえうまくできなかったとしても「チャレンジしたことを褒める」こと。

    そして、その瞬間を見逃さないこと。

    チャレンジを続ければ、必ずできるようになります。

    できたことを褒める。

    そして、

    「諦めずチャレンジしたことを褒め、そんな「あなたのこと」を認める」

    それが成長につながっていきます。

    私が指導者として、大切にしている心得の1つです。

    強みを見つけ、磨く

    強みを見つけ、磨くことが大切です。

    強みは、自信につながり、精神面の強化にも大切な要素です。

    「強み=得意」

    と捉えていただくととわかりやすいかと思います。

    得意なことは、上達も早いですし、
    試合でも得意なことを生かせば活躍できる可能性が広がります。

    バスケットボールは、覚える技術も非常に多いですし、全ての技術を最低限こなせる技術が必要です。

    ドリブルがまったくできないではいけませんし、シュートが全然入らない。。だとバスケットボールのプレイが成り立ちません。

    きちんとした指導を受けていれば、日々の練習に励むことで一通りの技術は身についていくことでしょう。

    その上で、

    「自分の得意なもの=強みを磨いていく」

    ことを私は大切にしています。

    「これだけは負けない!」という武器を身につけることが、
    バスケットボールに限らず、今後の人生に大きな影響を与えることは間違いありません。

    「バスケットボールを通じて、自分の強みを磨くことの大切さを経験する」

    私が、子供たちに伝えたいことの1つです。

    最後に。
    11年間、ずっと心がけてきた子供たちに伝えたいこと。

    チャレンジする姿を見せること

    最後に私が大切にしていることの1つとして、

    「自分自身がチャレンジする姿を見せること」

    です。

    「チャレンジすること」は子供に限らず、大人にとっても重要なことです。

    指導する立場の人間が「チャレンジをしていない」のでは、何の説得力もありません。

    まずは、自分が率先して新しいことにチャレンジする。

    私自身も、

    「練習メニューに、何かひと工夫入れてみる」
    「少し難しい指導にチャレンジしてみる」
    「学んだことをアウトプットしてみる」

    など、どんなに小さなことでもチャレンジするようにしています。

    チャレンジするから見えてくるものがあります。

    チャレンジしなければ進歩はありません。

    小さな一歩でも前に進むことが、
    バスケットボールの上達、心身の成長に繋がります。


    「チャレンジする姿を見せるべくチャレンジする」

    すべては、子供たちのために。

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  • ジュニアバスケコーチ「 Tatsuya Ao 」 ストーリー

    ジュニアバスケコーチ「 Tatsuya Ao 」 ストーリー

    プロフィール

    岐阜県出身。
    岐阜はのんびりしていて人が温かい。でも保守的な人が多い。

    小学2年生の時、バスケットボールと出会い、バスケ漬けの日々が始まる。
    ポジションは、3ポイントシューター。三井寿が大好き。

    バスケとの出会い

    バスケとの出会いのキッカケは、兄の存在。

    いつも兄の背中を追いかけ回し、日が暮れるまでボールを追いかけた。

    ゴールもないだだっ広い駐車場が僕らの練習場。
    電信柱に書いた印が、僕らにとってのゴールだった。

    毎日毎日同じことの繰り返しだったけど、そんな日々が楽しかった。

    ある日、バスケットゴールがどこかにあるんじゃないか?と気づいた僕たちは、チャリンコを飛ばしゴールを探し回った。

    いずれ中学生になったら入学するであろう中学校に忍び込み、ついにゴールを見つけた!

    正式な高さのゴールはあまりにも高くて、シュートは全然届かなかった。
    それが逆に嬉しくて、騒ぎながらシュートを打ちまくった。

    いつしか兄は中学に上がり、部活で忙しくなって、わたしは練習相手を無くしてしまった。
    たまに相手をしてくれたけど、中学に上がった兄はワンランクもツーランクもわたしの上をいっていた。

    悔しくて、ミニバスチームに入る

    兄に負け続けたわたしは、悔しくて地域のミニバスチームに入った。

    兄と毎日のようにバスケをしていたわたしにとって同年代のチームメートは相手にならなかった。

    チームではすぐにレギュラーになり、点取り屋として点を取りまくった。

    中学に入って、上には上がいることを知る

    中学に入って、同年代に相手はいなかったけど、先輩には怪物みたいな人がいた。もちろん兄も。

    今まで調子に乗っていたわたしは、先輩方にコテンパンにやられた。

    初めての挫折を経験。
    正直なかなか立ち直れなかった。。

    先輩に言われた一言が自分を変えた

    ある日の練習後、先輩に言われた言葉がわたしを変えました。

    「今はまだお前は弱いけど、いつか俺を倒してみろ」

    そういって体育館を後にした先輩の後ろ姿は、超カッコよかった。

    シュートに目覚める

    強くなるために自分の武器を見つけようとわたしは考え始めた。

    体格もさほど大きいわけではなく、線も細かったわたしは、ボディコンタクトは苦手で、パワーも弱々。

    でも、小さい頃から電信柱でシュート練習をしていたわたしは、ボールコントロールだけには自信があったので、シュートを徹底的に磨くことにした。

    鏡の前でシュートフォームをチェックしたり、お風呂で手首のスナップを強化したり。

    シュートで誰にも負けないためになんでもやった。

    三井寿のようなシューターになりたい

    完全にスラムダンク世代なので、漫画は10週以上読んだ。

    シューターを目指したのも、「三井寿」のかっこよさに惚れ込んでのことなのかもしれない。

    一人でセリフを喋りながら、いつもシュート練習に励んでいた。

    その甲斐あってか、シュート力では誰にも負けないくらいの自信がついた。

    あの先輩との勝負

    僕を変えた先輩と偶然出会い、勝負を挑んだ。(当時中学3年)

    ボコボコにやられた。。。悔しかった。

    「本気でやったよ」「綺麗なシュートだ」と褒めてくれたことが本当に嬉しくて泣いた。

    負けた経験が今の仕事に生きる

    高校三年まで続けたバスケットボールが、今では仕事になっている。

    指導者として、バスケットを教える立場になり、今までの経験が確実に生きている。

    挫折を繰り返し、悔しい思いをした人間にしかわからない感情がわたしを突き動かすし、生徒に伝える言葉に乗り移ると思う。

    これからもわたしは負ける。

    だけど負けた経験、費やした全てが意味を持つその日まで、闘い続けよう。

    ジュニア指導11年、私がバスケットボールを通じて子供たちに伝えたいことを綴りました。
    私の考え方や指導の方針などよくわかるかと思います。

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